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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)11881号 判決 1998年12月18日

原告

甲野春子

外四名

右原告五名訴訟代理人弁護士

斎藤ともよ

高瀬久美子

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

篠原昭三

被告

吉田泰夫

右被告二名訴訟代理人弁護士

前川信夫

主文

一  被告らは連帯して、原告甲野春子に対し、金一八〇万円及びこれに対する平成元年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野一郎、同甲野夏子、同甲野秋子及び同甲野二郎に対し、それぞれ金四五万円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告甲野春子に対し、金一七九九万八八七三円及びこれに対する平成元年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野一郎、同甲野夏子、同甲野秋子及び同甲野二郎に対し、それぞれ金四四九万九七一八円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行の宣言

第二  事案の概要

本件は、被告社会福祉法人恩賜財団済生会(以下「被告済生会」という。)が開設する大阪府済生会野江病院(以下「本件病院」という。)の勤務医である被告吉田泰夫(以下「被告吉田」という。)が、亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)の膵頭十二指腸切除術(以下「本件手術」という。)を行ったが、亡太郎は死亡するに至ったため、同人の相続人である原告らが、被告吉田は、(一) 手術前に、本件手術の危険性、本件手術に代わる医療手段の有無等を説明すべき義務に違反し(術前の説明義務違反)、(二) 手術中も、術中迅速病理診断検査を行い、その結果によっては本件手術を中止してバイパス手術等の保存的治療等に移行すべきであったのに、同検査を行うことなく、膵頭十二指腸切除術に固執してこれを続行し、しかも剥離自体の手技を誤り、その結果、吻合部に縫合不全を生じさせ(手術実施上の過失)、(三) 本件手術開始後、術前に予想できなかった剥離困難な部分の存在することが判明したにもかかわらず、手術中に何らの説明もせず(術中の説明義務違反)、(四) 手術後も、経過観察を怠り、縫合不全を早期に発見することができず、そのため必要な検査をなすべき義務に違反し、吻合部位の縫合不全により大量出血を生じさせ、よって亡太郎を死亡させた(術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反)、などと主張して、被告済生会に対し債務不履行又は不法行為(民法七一五条)に基づく損害賠償を、被告吉田に対し不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  当事者等

(一) 被告済生会は、大阪市城東区今福<番地略>において本件病院を開設し、診察・治療を行っている社会福祉法人である。

(二) 亡太郎(大正九年八月一五日生)は、平成元年五月一三日(以下、平成元年の表記は省略する。)、本件病院で診察を受け、閉塞性黄疸であるとの診断を受けた後、被告済生会との間で、被告済生会は医学的知識、技術を駆使して各種検査を十分行ったうえ、検査結果を正しく判断して亡太郎の訴える症状や原因を可及的速やかに的確に診断し、適切な治療を行うことを内容とする準委任契約たる診療契約を締結し、本件病院に入院した。

そして、亡太郎は、六月一五日、同病院において本件手術を受けたものの、同月二九日、同病院において死亡した。

(三) 被告吉田は、平成元年当時、本件病院に勤務する被告済生会の被用者であり、亡太郎の主治医で、かつ、本件手術の執刀医であった。

(四) 原告甲野春子(以下「原告春子」という。他の原告についても以下同様に略称する。)は亡太郎の妻、原告一郎は長男、原告夏子は長女、原告秋子は次女、原告二郎は次男であり、相続により、原告春子が二分の一、その他の原告が各八分の一の割合で亡太郎の権利義務を承継した。

2  治療経過

(一) 亡太郎は、五月上旬ころ、褐色尿や灰白色便を排泄するようになったために、同月一三日に本件病院を訪れ、白枝修医師の診察を受けたところ、閉塞性黄疸と診断され、同日、本件病院に入院した。

(二) 亡太郎は、五月一五日、内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP)を受け、総胆管癌と診断された。白枝医師は、同日、原告春子及び同一郎に対し、「腫瘍ができているけれども、自分の経験からすると癌だと思う。手術した方がよい。癌であることは、本人には言わないで下さい。」と説明した。

同月二四日、亡太郎の手術適応性を判断するために腹部血管造影検査を行う予定であったが、同月二一日ころ、発熱がみられたため、同月三一日に延期され、同日、右検査が実施された。

(三) 亡太郎は、六月一日、本件手術を受けるため、内科から外科に転科した。

(四) 同月一五日、被告吉田の執刀により本件手術が行われたが、同月一八日午前四時に腹腔内に入れているドレーン内に凝血が見られ、同日午前一〇時にはドレーンから血性排液があり、その後、同月二三日午前一〇時ころ、腹腔内から大量に出血し、緊急手術が行われた。

(五) 亡太郎は、右緊急手術後も大量の出血を繰り返し、同月二九日午後一〇時五分、腹腔内出血により死亡した。

二  争点に関する当事者の主張

1  術前の説明義務違反

(一) 原告らの主張

(1) 患者は自己の肉体に医的損傷を加えられることを承諾するかどうかにつき、その自由意思に基づいて決定する権利(患者の自己決定権)を有し、その前提として、自らの症状を理解するために必要な全ての情報を得る権利を有する。

(2) 亡太郎が受けた本件手術は、膵頭部のほか、胃の一部、十二指腸及び空腸の一部、総胆管というように広範囲に臓器を切除するため、腹部手術の中でも最も侵襲が大きく、一般外科、特に腹部外科の中では最も困難な手術の一つであり、最も卓越した技術が要求される手術であって、死亡率や術後合併症の発生率も極めて高い危険性の高い手術である。ゆえに、本件手術を行うことによって根治すれば自然死するまで生存できる反面、根治せずに術死する可能性も高い。他方、ドレナージチューブ挿入(ERBD)後経過観察をするという治療法は、根治はできないものの、本件手術の生命に対する危険性や生存率を考えると、本件手術を行った場合よりも結果的に延命されたり救命されたりする可能性がある。また、バイパス手術を行うという治療法も存在する。この治療法について、被告らは、最初からバイパス手術を行うということは治療法としてありえず、手術の続行が不可能な場合のやむを得ない処置であるかのようにいうが、バイパス手術は、手術の続行が可能な場合にも行う治療法である。

したがって、被告吉田には、患者である亡太郎に対し、亡太郎が自らの意思により本件手術を受けるか否かを決定するために必要な情報、すなわち、既に実施された検査・診療の結果、これから行われようとする手術の目的・方法・内容、予想される危険性(特に生命に関する危険性)、後遺症や合併症の発生の可能性、その内容・程度及びこれに代わりうる他の手段(無治療の場合どうなるかということも含まれる。)、予後等につき説明すべき義務があった。

このことは、亡太郎に対し、癌であることを告知していたか否かにかかわらない。

亡太郎に対して癌であることを告知していない等の事情により不十分な説明しかしていない本件のような場合は、亡太郎の家族に対して、亡太郎に対してすべき説明と同程度の説明をすべき義務がある。

(3) しかるに、被告吉田は「ちゃんとした手術ができれば期待が持てるし、どうしても取り残しがあれば、それなりの結果に終わる。」と説明したのみで、本件手術をした場合の縫合不全発生の危険性・可能性、縫合不全により死亡に至る可能性や余命について全く説明していない上、亡太郎の治療法として、本件手術を行わずに経過観察を行う方法やバイパス手術を行う方法があることについても説明していない。

このように、被告吉田は、本件手術の危険性、すなわち縫合不全発生の危険性・可能性、それにより死に至る可能性、本件手術に代わる医療手段の有無、本件手術をしない場合の予後の見通し等について何ら説明しなかったのであるから、術前の説明義務違反がある。

被告らは、「術中、術後の予断は許されない」という説明によって不幸な結果もありうることを十分表現している旨主張するが、そもそも被告吉田が右のような説明をしたこと自体疑問であるし、仮に右のような説明をしたとしても、これによって死亡する可能性があることを理解することは不可能である。

(二) 被告らの主張

(1) 原告らは、患者に対する癌告知を避けている場合でも、医師は患者に対し、既に実施された検査・診療の結果、これから行われようとする手術の目的・方法・内容などの一切を説明する義務があるかのように主張するが、それでは患者に癌に罹患している事実を知らせるに等しく、癌の告知を避けた意味が全く失われてしまう。

そこで、被告吉田は、最初に診療した消化器内科において胆管に胆泥がつまって閉塞し黄疸が発症した旨説明していたのを承けて、亡太郎に対し、胆管に狭窄部があり閉塞しているので放っておくと黄疸により胆不全となり大事に至るので手術して狭窄部とその周辺を切除する以外に治療の方法はないが、これは相当大きな手術であると説明した。そして、癌の告知をしていない本件においては、右のような説明が精一杯の限界であって、これ以上に膵・胆管・胃・十二指腸までを切除し縫合する本件手術の内容について説明したり、その合併症などによる死の可能性などについて説明することは、亡太郎の重大な疑惑を招くので、絶対に避けるべきことである。

このように、癌の非告知例においては、その性質上、患者本人に対して十分な説明をすることは不可能であるからこそ、その代償として、家族に対する説明が大きな意味を持つことになるのである。

(2) 被告吉田は、六月一三日に病棟詰所において、亡太郎の妻の原告春子と息子一人に対し、レントゲン写真を示したり総胆管の病巣部や手術部位付近の各臓器の位置関係の略図を描いて示した上で、手術内容につき、長時間にわたる大手術であること、術後合併症として肺炎や縫合不全についてもある程度考えなければならず、したがって術中、術後の予断は許されないが、救命のためには手術をせずに放っておくことはできないということを、三〇分から四〇分にわたり、素人にも分かる表現をもって説明し、しかもこの縫合不全については「膵臓と腸という全く形態の違うものをつなぐわけですから、かなり、接着という意味からすると、うまくくっつきにくい可能性がある。それと場合によってはですけれども、膵液がうまく外へ逃げずに流れるようなケースもあります。」と説明したのであるから、原告らにおいても本件手術の重大性は十分認識できたはずであり、「術中、術後の予断は許されない」という婉曲な説明ながら不幸な結果もありうることを十分表現しているのであって、被告吉田は説明義務を果たしたということができる。原告らは、右のような説明では死亡する可能性があることを理解することは不可能である旨主張するが、原告春子と息子は相当な経験のある一人前の社会人であり、前記のような大手術の内容や術後合併症の説明を受け、術中、術後の「予断は許されない」と聞かされれば、最悪の場合死につながることを意味するぐらいは理解できて当然である。

本件手術をした場合の縫合不全の発生率や余命は、ばらつきが多く、正確なパーセントをもって説明することは臨床医にとって困難である。

(3) 原告らは、経過観察をするという治療法やバイパス手術を行うという治療法についても説明すべきである旨主張する。

しかし、本件においては根治術としての外科手術が相当であり、それを行わないで放置すると、多くの場合、胆管炎の繰り返しによって患者を苦しめ、それによる敗血症や癌の進行そのものによって患者を早期に死亡させることになるから、治療を放棄して亡太郎を見殺しにするに等しく、治療法として経過観察ということは考えられない。したがって、ある程度の危険性は予測されても、本件手術によって根治性が期待しうる以上、医師が本件手術を実施する方向で説明するのは当然のことである。もっとも、被告吉田は、本件手術を行うことの必要性を説明する際に、当然、その前提として、もし本件手術をしなければ(原告らのいう経過観察の場合)、患者を苦しめ早期の死を迎えることになるということは説明している。

また、本症例においては、最初からバイパス手術を行うということは治療法としてはあり得ず、バイパス手術をするか否かは開腹の際の状況から決めるべきことである。もっとも、被告吉田は、原告らに対し、開腹時の所見から手術の続行が不可能な場合には、やむを得ない処置としてバイパス手術のみに終わることもありうることは説明した。

原告らのいう経過観察やバイパス手術をした場合の余命は、ばらつきが多く、正確なパーセントをもって説明することは臨床医にとって困難である。

2  手術実施上の過失

(一) 原告らの主張

被告吉田は、本件手術開始後、亡太郎の腫瘤が膵上縁部後腹膜にあり、剥離困難な部分もあったのであるから、術中迅速病理診断検査を行い、その結果によっては、本件手術を中止してバイパス手術等の保存的治療等に移行すべきであったのに、同検査を行うことなく、膵頭十二指腸切除術に固執してこれを続行し、しかも、剥離自体の手技を誤り、その結果、膵―腸吻合部や十二指腸―十二指腸吻合部に縫合不全を生じさせて、亡太郎を死亡させたから、手術実施上の過失がある。

(1) 術中迅速病理診断検査義務違反

本件手術は、一般的に言っても、多くの臓器や動脈壁と比べるとその血管壁が薄い下大動脈など非常に広範な範囲を切除するという難しい術式である上、亡太郎の癌は、肝十二指腸靱帯全体に予想以上に広範囲に存在し、靱帯表面には点状発赤が認められたのであるから、癌を全部切除しなければ、切除術を実施したこと自体が無意味になるため、癌腫の部分を残さず切除することが必要であった。そして、手術中に癌腫の部分を残さず切除することができたかどうかを確認するためには、切除断端がマイナスであることを確認することが必要不可欠であり、そのためには、術中迅速病理診断検査を行う必要がある。

また、本件手術のように、侵襲が大きく、予後の良くない難易度の高い切除術を行うに当たっては、切除範囲を必要最小限度の範囲で確定するためにも、術中迅速病理診断検査を行う必要がある。とりわけ、亡太郎の場合、被告吉田が剥離を進めると、下大静脈の周辺の静脈壁という比較的血管壁が薄い部分に癌細胞が浸潤しかけており、あるいは癌細胞が浸潤しそうな部分の近くに剥離困難な部分があったのであるから、執刀医としては、下大静脈の周辺の癌組織の範囲を正確に調べ、切除範囲を必要最小限度にとどめるために、術中迅速病理診断検査を行う必要がある。すなわち、右検査を行うことは、切除範囲を必要最小限度にとどめることにより、手術後に縫合不全などの合併症が発生する危険を減少させることにつながるものであり、非常にリスクの高い人の場合には完壁な手段でないと乗り切れない場合もあるとされている本件手術を実施する医師には通常要求される注意義務である。

しかるに、被告吉田は、本件病院には病理の専門医がおり、術中迅速病理診断検査を行うことが可能であったにもかかわらず、術前に術中迅速病理診断検査を予定せず、また手術中に予想外の事態が発生しても右検査を行うことに思い至らず、漫然と術前に決めたとおりの術式に固執し、癌細胞の取り残しを恐れて、不必要な範囲にまで切除を拡大したため、縫合不全を引き起こしたのであるから、被告吉田には術中迅速病理診断検査をなすべき義務の違反がある。

(2) 本件手術の中止義務違反

術中迅速病理診断検査を実施し、点状の発赤や下大静脈側や向う側の面の癌腫について、その種類や範囲を正確に知った上で最小限度の切除範囲を確定し、最も患者に負担の少ない術式の選択や切除範囲を決定したとしても、切除範囲があまりに広範囲になり、年齢、術前の全身状態等から術後に危険があるようであれば、本件手術を中止してバイパス手術に変更すべき義務がある。

しかるに、被告吉田は、術中迅速病理診断検査を行わず、より患者に負担の少ない術式を選択することもなく、術前に安易に決めた術式や切除範囲を再検討することもなく、漫然と術前に決定したとおりの切除術式で切除をなし、吻合をし、縫合不全の結果を招いた過失がある。

この点についての被告らの主張についていえば、原告らは、剥離が可能であるにもかかわらずバイパス手術に変更すべき義務があると主張しているのではなく、被告吉田が剥離が可能であると判断したこと自体を問題にしているのである。

(3) 手術の手技上の過失

被告吉田は、膵―空腸吻合は術後合併症の一つである縫合不全発生の危険性が高い箇所であるとの認識を有していながら、本件手術を実施し、その困難な部分の剥離をあえて行い、同吻合部から出血させ、縫合不全を生じさせたのであるから、右剥離自体に手術操作上の過失がある。被告らは、術中及び術直後に大出血がなかったことをもって下大静脈等を損傷したことはない旨主張するが、大出血に至らない程度の損傷も発生しうることを否定するものであって、科学的ではない。現に大量の出血があったため輸血がなされているし(その輸血量からして、通常の消化管の外科手術と比べると、はるかに大量の出血があった。)、六月二三日に行われた緊急手術時に開腹したところ、右上腹部中心に凝血塊が認められたのであるから、術中の操作によって下大静脈等を損傷したことは否定できない。

また、被告らは、剥離箇所は縫合不全発生場所とは全く位置が異なる旨主張するが、剥離困難な箇所は膵上縁部後腹膜と下大静脈の間であり、縫合不全箇所と近接している。すなわち、本件手術は、膵頭部、十二指腸、総胆管等を一塊として切除する術式で、肝・十二指腸靱帯部においては胆管、肝動脈、門脈をすべて完全に剥離し、十二指腸―十二指腸吻合、膵―空腸吻合、肝管―空腸吻合を実施したのであり、縫合不全発生場所は膵―腸吻合部前壁の縫合糸がほとんど膵部で裂けていたのであるから、どんなに離れていても一〇センチメートル以内である。

(二) 被告らの主張

(1) 術中迅速病理診断検査義務違反について

術中迅速病理診断検査は、これを行えば術中に万一の取り残しを見つけてその機会に追加切離が可能であるという利点があるが、一方では診断を行うのに三〇分ないし一時間を要してその分だけ手術の遅延を招くという患者にとってマイナスとなる面もあるので、これを実施するかどうかは執刀医の状況判断に委ねられている。

被告吉田は、開腹所見により癌病巣部分を的確に把握し、ルーチンな方式によって切除したのであって、不必要な範囲にまで切除を拡大したことは決してないし、そもそも、どの範囲で切除し、その断端をどこに縫合したかという縫合の部位の問題と縫合部での縫合不全発生の原因との間には直接関連性はない。

(2) 本件手術の中止義務違反について

ほとんどの外科手術には癒着による剥離困難以外にも何らかの困難を伴うものであるが、それを細心の注意と慎重な手技により成功に導くところにこそ外科医の使命があるのであって、剥離が可能であるにもかかわらず、外科医の使命や努力を放棄して、保存的で余命も短いバイパス手術に変更すべきであるなどとする原告らの主張は、到底受け容れられない。

(3) 手術の手技上の過失について

被告吉田は、原告ら指摘の剥離困難な部分についても、慎重に剥離操作を進めて無事に剥離した結果、腫瘤部は以上の操作により切除可能であると判断することができたため、腫瘤部を切除したのであって、手技を誤ったり無理な剥離を強行したりはしていない。仮に、無理な操作によって下大静脈等を損傷したとすれば、術中及び術直後から大出血を招来しているはずであるが、本件ではそのような大出血がない。

また、被告吉田が剥離した箇所は、膵上縁部後腹膜と下大静脈の間であって、縫合不全が生じた膵―腸吻合部や十二指腸吻合部とは全く位置が異なるから、被告吉田が剥離を行ったことによって縫合不全が生じたという関係にはない。両箇所の距離について原告らのいう一〇センチメートルというのは、腹腔内においては相当離れた距離である。

六月二三日午前一〇時ころに突発した大量出血は、本件手術の際の剥離に基づくものではなく、膵―空腸吻合部の縫合不全により漏出した膵液により胃十二指腸動脈等の血管壁を腐蝕損傷したことによるものである。

3  術中の説明義務違反

(一) 原告らの主張

手術開始後、腫瘍部などに剥離困難な部分があるなど、患者の承諾を取っていない新たな事態が生じた場合や承諾の範囲を超えた新たな事態が生じた場合には、その時点で患者本人の承諾を取ることが必要である。ただ、本件のように患者本人が全身麻酔下にある手術などの場合は、患者本人の承諾を得ることが不可能であるので、患者の家族から承諾を得る必要がある。

そして、右承諾を得る前提として、医師は、患者の家族に対し、新たに生じた事態や承諾の範囲を越えた新たな事態、手術の継続の必要性と手術の継続により予想される危険性について説明すべき義務がある。

しかるに、本件手術開始後、亡太郎の腫瘤が膵上縁部後腹膜にあり、術前に予想することができなかった剥離困難な部分の存在することが判明したにもかかわらず、被告吉田は、原告らに対し、手術中に何らの説明もしなかったのであるから、被告吉田には術中の説明義務違反がある。

(二) 被告らの主張

全身麻酔による手術を途中で中断し、患者を危険な状態にさらしてまで、手術の継続の必要性と手術の継続により予想される危険性を説明すべき義務あるとは到底考えられない。

4  術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反

(一) 原告らの主張

(1) 被告吉田には、手術後、経過観察を行い、術後合併症が発生していないかを確認し、術後合併症である縫合不全を早期に発見するとともに、縫合不全に対する適切な治療を行うべき義務がある。

(2) しかるに、カルテには、六月二〇日午後一時の時点でウィンスロー孔ドレーンからの排液が暗赤色である旨の記載があり、同日午後一一時に臭気がある(術後重症経過表)旨の記載があることからして、右時点において縫合不全が発生していることを推測することができたのであるから、被告吉田は、右時点で消化管造影検査(ガストログラフィン検査)、あるいは腹部超音波検査、CT検査を行うべき義務があるのに、六月二三日午前八時まで消化管造影検査を行わず、その検査でも造影剤の漏れを発見できず、同日午前一〇時に亡太郎の吻合部位からの縫合不全による大量出血を生じさせた。

もし、六月二〇日午後一一時の時点で消化管造影検査を行っていれば、同検査に要する時間を考慮しても二一日中には縫合不全発生を発見できたはずであり、このように早期に縫合不全を発見していれば、ドレーンを適切な位置に置き、ドレーンがうまく効くようにするなどして、縫合不全に早期に対処することが可能であり、さらに、経動脈的塞栓術(TAE)等の処置の可能性もあったのである。

被告らは、ドレーン排液の臭気は、継続的であって初めて縫合不全の徴候として意味があるかのようにいうが、臭気があれば、臭気が継続しているかについての経過観察が重要であるにもかかわらず、最も信頼できる資料となるべきカルテに、問題の六月二一日の記載が全くないのであって、被告らが看護婦の術後重症経過表の記載を持ち出すのは本末転倒である。また、被告らは、ガストログラフィン検査の危険性を強調するが、被告吉田も、大量出血のあった六月二三日午前一〇時の二時間前には、現にガストログラフィン検査を実施しているのであるから、抽象的な同検査の危険性をもって、重大な術後合併症である縫合不全のルーティンな検査であるガストログラフィン検査の実施の遅れを正当化することはできない。

(3) 以上のとおり、被告吉田は、本件手術後六月二三日午前一〇時までの間、経過観察を怠り、縫合不全を早期に発見することができず、そのため必要な検査をなすべき義務に違反し、吻合部位の縫合不全により大量出血を生じさせ、よって亡太郎を死亡させたのであるから、術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反及び縫合不全に対する適切な治療義務違反の過失がある。

(二) 被告らの主張

(1) 原告らは、六月二〇日午後一一時の時点で、縫合不全発生を推測できた旨主張するが、縫合不全が発症すれば、以後継続して腸内容物が排出されるので臭気が一回限りということはありえず、それが継続的であって初めて縫合不全の徴候としてその可能性が推測されるところ、本件の場合、臭気が継続していないこと(もし継続していたとすれば、術後重症経過表に看護婦が記載しなかったはずはない。)、右時点で熱発、頻脈、白血球増多などのバイタルサインに顕著な異変は生じていなかったので、これによって縫合不全発生の判断は困難であったこと、ドレーンからの排液量からしてドレーンが十分機能していること、膵管チューブを通じての膵液の排液量も十分良好であることからして、六月二〇日午後一一時以降も被告吉田が縫合不全を推測しうる状況は認められなかった。縫合不全が発生したとの診断が可能となったのは、六月二三日午前八時にドレーンからの膿汁が観察されたときである。

(2) このように、通常縫合不全の場合にみられる熱発、頻脈、白血球増多などのバイタルサインにおいて特にそれと疑わせる著変がないままに、六月二二日深夜にドレーン排液に悪臭が、翌二三日早朝に膿汁が認められ、これらによって縫合不全を強く疑う兆候が現れたので、被告吉田は直ちにガストログラフィン検査を実施したが、それによっては腹腔内の情報を得ることができなかったのであって、本件は、ドレーンからの排液が汚く膿性であると思っていると、突然ドレーンから出血するという例に該当し、通常想定される医療の限界を超えたところにおいて生じたものであり、被告吉田に義務違反はない。

(3) ガストログラフィン検査についていえば、造影剤の大量注入による圧力により縫合部を開したり、マイナーリーケージをメジャーリーケージに拡大するおそれも考慮して、慎重な使用にとどめるべきである。本件においても、二三日午前八時ころにガストログラフィン検査を実施してほどなく大量の新鮮血出血が生じたことからみて、結果的に同検査が何らかの誘因になったという可能性も否定し切ることはできない。ガストログラフィン検査の有効性についても、膵頭十二指腸切除術において腹腔ドレーンから腸内容や胆汁が出て、ドレーンからの造影で縫合不全が診断されたという症例はほとんどなく、現に本件でも、排液の性状から縫合不全の発症はほぼ確実と言いうる状況にあったにもかかわらず、ガストログラフィン検査上はこれを確認することができなかったのである。このようなガストログラフィン検査の危険性(副作用)と有効性を考えると、同検査は必要最小限度で慎重に実施すべきものということになる。右時点において被告吉田がガストログラフィン検査を実施したのは、二二日の夜半から二三日朝にかけての状況からほぼ縫合不全の発症は間違いないと判断したので、今後の処置のために念のためレントゲン上で確認しようとしたものである。

その他原告らの主張するCT検査や超音波検査も、現時点ではともかく、平成元年当時は、これによって縫合不全の診断をすることは困難であった。

5  被告らの責任

(一) 債務不履行責任(被告済生会)

(1) 原告らの主張

被告済生会は、五月一三日に亡太郎との間で締結した診療契約に基づき、亡太郎に対し適切な診断と治療をなすべき義務を負っていた。ところが、被告済生会は、その履行補助者である被告吉田の前記過失により、亡太郎を死亡させたのであるから、債務不履行責任を負う。

(2) 被告らの主張

被告済生会が、五月一三日に亡太郎との間で締結した診療契約に基づき亡太郎に対し適切な診断と治療をなすべき義務を負っていたこと、被告吉田が被告済生会の履行補助者であることは認めるが、その余の主張は争う。

(二) 不法行為責任(被告ら)

(1) 原告らの主張

① 被告吉田は、前記過失により亡太郎を死亡させたから、不法行為責任を負う。

② 被告済生会は被告吉田の使用者であるところ、被告吉田の不法行為は被告済生会の事業の執行につきなされたものであるから、民法七一五条に基づく使用者責任を負う。

(2) 被告らの主張

被告済生会が被告吉田の使用者であることは認めるが、その余の主張は争う。

6  損害

(一) 原告らの主張

亡太郎及び原告らは、被告らの債務不履行又は不法行為により、以下の合計三五九九万七七四七円の損害を被った。

(1) 治療費 一万一六九〇円

(2) 亡太郎の死亡による損害

合計三二七八万六〇五七円

① 逸失利益

亡太郎は死亡当時六九歳であったので、平成元年の賃金センサスの男子労働者学歴計六五歳以上の平均賃金(年額三二八万円)を基準として逸失利益を算定すべきところ、世帯主としての生活費として三割を控除した上、平成元年簡易生命表によると平均余命は13.34年であるので、その二分の一の6.7年に対する新ホフマン係数5.1336を乗じて中間利息を控除すると、亡耕次郎の逸失利益は一一七八万六〇五七円になる。

② 死亡慰謝料 二〇〇〇万円

③ 葬儀費用 一〇〇万円

(3) 弁護士費用 三二〇万円

(二) 被告らの主張

争う。

第三  当裁判所の判断

一  証拠(甲五、乙一ないし四、九、原告春子、被告吉田)によれば、亡太郎の入院から死亡に至るまでの経過は、次の1ないし4のとおりであると認められる。

1  本件手術までの経過

亡太郎は、五月上旬ころ、褐色尿や灰白色便を排泄するようになったために、同月一三日、本件病院を訪れ、内科(消化器内科)において、白枝修医師による腹部超音波検査を受けた。白枝医師は、右検査で総胆管、肝内胆管の拡張がみられたことから、閉塞性黄疸と診断し、同日、亡太郎は本件病院に入院することになった。

白枝医師は、同月一五日、亡太郎に内視鏡的逆行性胆道膵管造影検査(ERCP)を実施したところ、総胆管に約二センチメートルにわたる不整の狭窄及びその部分より肝側の拡張がみられたことから、総胆管癌の疑いがあると診断するとともに、黄疸を軽減させるため、内視鏡的十二指腸乳頭切開術を行い、十二指腸を通じて狭窄部を越えて総胆管内にドレナージチューブを挿入して留置した(ERBD)。

白枝医師は、同日、原告春子及び同一郎に対し、検査の結果を踏まえて、「腫瘍ができているけれども、自分の経験からすると癌だと思う。手術した方がよい。癌であることは、本人には言わないで下さい。」と説明したが、この際、手術の危険性や合併症などについては説明しなかった。また、同医師は、亡太郎に対しては癌であることを告知せず、胆管に胆泥がたまって閉塞し、黄疸を発症したと説明した。

亡太郎の手術適応性を判断するために、同月二四日に腹部血管造影検査を行う予定であったが、同月二一日ころから、亡太郎に発熱がみられたため、延期された。

同月二七日、白枝医師から外科に対し、総胆管癌の疑いがあるということで、亡太郎の手術の適応性についての診察依頼があったため、外科の被告吉田が亡太郎を診察した。被告吉田は、同月一五日に実施された内視鏡的逆行性胆道膵管造影検査(ERCP)及び同月一八日に実施されたCTスキャンの所見などからみて、総胆管癌であり、手術が適当であろうと判断し、手術を行うために、腹部血管造影検査後、外科に転科してもらうのが妥当である旨の返事をした。

同月三一日の腹部血管造影検査の結果、腫瘍の門脈への浸潤等はなく、前記CTスキャンの所見とあわせ切除可能と判断された。

亡太郎は、六月一日、手術を受けるために、内科から外科に転科し、被告吉田が主治医になった。そのころ、被告吉田は、亡太郎に対し、内科でされた説明と同様、癌であることを告知することなく、胆管に砂のようなものが詰まって閉塞して黄疸を来している旨を説明するとともに、困難ではあるけれども患部を手術して切除しないと黄疸が強くなり最終的に肝不全に陥り、危険な事態に陥る旨を説明し、亡太郎も手術を受けることについて了解した。

亡太郎は、同月二日早朝ころから、体温が上昇し始め、同日午後二時ころには四〇度近くになった。また、いったん低下していた血清総ビリルビン値(TBIL)が再上昇し、同月三日には4.8ミリグラム毎デシリットル(以下、単位は省略する。)に達した(正常値は0.3ないし1.1)。被告吉田は、総胆管内のドレナージチューブが詰まって閉塞性黄疸と胆道感染の併発を来したと判断し、同日、内視鏡的逆行性胆道膵管造影検査(ERCP)の再施行を内科に依頼したところ、内科の清田医師は、同検査を施行し、五月一五日に総胆管内に挿入・留置されたチューブが閉塞していたので抜去し、膿の大量流出もあったため、排膿洗浄後、再度、総胆管内に新しいドレナージチューブを挿入して留置した(ERBD)。さらに、抗生物質(シオマリン、セファメジン等)の投与も行った結果、その直後より熱が下がり、血清総ビリルビン値も急速に低下し、六月五日には2.0になった。

なお、被告吉田は、同月三日か四日ころ、原告春子に対し、亡太郎には敗血症の疑いがあり、熱があるうちは手術はできないと言った。

被告吉田は、膵頭十二指腸切除術により癌腫を切除するのが唯一の根治法であり、かつ、救命法であると判断していたが、右のように閉塞性黄疸がみられたことから、亡太郎の症状の軽快を待って手術実施日を決定することとした。そして、手術に備えて、六月六日、中心静脈栄養点滴(IVH)による術前の栄養管理を開始した。

本件病院外科では、毎週金曜日、症例検討会が開催され、外科医師全員で手術の可否、実施方法等の討議がなされていたところ、同月九日開催された症例検討会において、被告吉田が検査成績等のデータ、レントゲンフィルムを示しながら説明したうえ、術式や切除範囲などについて意見交換がなされ、手術を実施すること、手術侵襲を小さくするため術式は幽門輪温存による膵頭十二指腸切除術とすること、手術の実施日を同月一五日とすることなどが決定された。

原告春子は、同月九日、亡太郎から手術実施日を被告吉田に聞いてくるよう頼まれたので、一人で被告吉田のところを訪れ、被告吉田から、同月一五日に手術を行う予定であること、手術は、臓器部分を三か所切って腸につなぐ方法で行うとの説明を受けた。このとき、手術の危険性についての説明はなかった。

被告吉田は、同月一三日、外科入院病棟の看護婦詰所において、原告春子、同一郎、同二郎とその妻に対し、亡太郎のレントゲン写真をシャウカステンに掲げるとともに、肝臓、総胆管、膵臓、十二指腸等手術部位付近の図を紙に描いて、総胆管に腫瘍がありそれを切除する必要があること、総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うこと、手術時間は約六時間かかること、体力の点でも手術するには問題がないこと、手術の時期も適当であることを説明した。他方、手術を行った場合に死亡する危険性もあることについての説明や手術を行わない場合の予後についての説明はなされなかった。

(被告らは、被告吉田は原告春子らに対し、術後合併症として肺炎や縫合不全についてもある程度考えなければならず、したがって術中、術後の予断は許されないが、救命のためには手術をせずに放っておくことはできないということを説明した旨主張し、被告吉田本人尋問の結果及び乙第九号証[被告吉田作成の陳述書]中には右主張に沿う供述部分及び供述記載部分が存在するが、他方、被告吉田は、その本人尋問においては、絵を描いて三〇分くらい説明をしたこと、合併症が起こる可能性があること、手術を実際にしようとしても、状況次第では手術ができなくてバイパスせざるを得ない状況が起こりうることは話したが、それ以上のことはあまりよく覚えていないとも供述しているのであって、原告春子の供述に照らし、前記供述部分及び供述記載部分を直ちに採用することはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。)

被告吉田は、手術前日である同月一四日において、敗血症の状態も解消され、黄疸についても減黄傾向になり(血清総ビリルビン値は0.9)、各種検査結果の数値からして、手術を実施することに問題がないと判断した。

2  本件手術

亡太郎の本件手術は、六月一五日午前一〇時二分から午後三時四五分までの間、被告吉田が執刀し、介助医の森口医師及び杉江医師、その他麻酔医二名、看護婦三名により本件病院において実施された。

術中所見によると、膵臓は硬さ、大きさとも全体として異常は認められなかったが、総胆管腫瘍部及びその近傍は固く触知され(肝十二指腸靭帯は全体に固くなっており、特に膵上部において最も固く触知され)、靭帯表面に点状発赤が認められた。また、膵上縁部後腹膜剥離時、下大静脈と腫瘍部及び膵上縁部との間に剥離困難な部分があり、極めて慎重な操作を必要とした。しかしながら、剥いでいくと、静脈壁が手術後いつ破れるかと心配するまでの必要はないくらいの層で予想以上にうまく剥離できたこと、剥離しにくかった部分が腫瘍側(癌細胞)についていると判断できたこと、膵頭十二指腸切除術にて治癒手術となることが期待されたことから、予定どおりの術式で行うこととした。

切除部位については、手術中に三管合流部から遠位側(十二指腸側)で切開して、胆道ファイバーで見たところ、十二指腸側はあまりよく見えなかった(腫瘍があったからと思われる。)のに対し、近位側(肝臓側)は約三センチメートルの長さにわたって軽度のびらん性変化がみられたものの、さらに肝側はファイバーで見る限り変化はなかったし、胆汁の色もきれいであったことから、三管合流部のぎりぎり肝側で切離しても結果は同じであると考え、一センチメートル肝臓側で切離することとした。このように胆道ファイバーで内腔を観察するとともに、触診・視診を行った結果、腫瘍が良性でないこと、癌の部位や範囲を判断することができたので、被告吉田は、それ以上術中迅速病理診断検査を行うまでの必要はないと考え、右検査は行わなかった。

もっとも、被告吉田は、手術中、膵臓への浸潤は認められないと肉眼的に判断していたが、手術後に行われた病理組織検査によると、実際には膵臓の方にも少し進展しており、また、膵臓の周囲の脂肪組織に浸潤があった。しかし、膵臓も周りの脂肪組織を一緒につけて切除しているので、被告吉田は、取残しがあるとは考えていない。

被告吉田は、膵頭十二指腸切除の術式でのルーチンな切除方法に従って、腫瘍のあった総胆管は総肝管の部位で、膵臓は門脈・上腸間膜静脈左縁の線上で、十二指腸は、口側については幽門から約三センチメートル肛門側の部位で、肛門側についてはトライツ靱帯から約二センチメートルロ側の部位で、それぞれ切離し、総胆管、膵頭部、十二指腸等を一塊として切除した。同時に、癌を取り残すことなく切除するため、肝・十二指腸靱帯部においては胆管、肝動脈、門脈をすべて完全に剥離し、テープをかけながら操作を進め、リンパ節郭清を十分に行い、また、上腸間膜動・静脈や後腹膜から膵を剥離する際にも癌の取残しがないように注意するとともに、細小の血管まで珍重に結紮、切離しつつ、剥離した。さらに、膵液を体外に排出させるために、膵管内に膵管チューブを挿入し、抜けないように確実に結紮、固定した。

再建術は、まず十二指腸と十二指腸とを吻合し、次に膵臓と空腸とを吻合し、最後に肝管と空腸とを吻合する方法で実施した。膵―空腸吻合は縫合不全発症の危険性が高い箇所であり、かつ、膵が硬くなっておらず柔らかな組織であったことから、特に慎重に吻合操作を行った。膵管内に挿入した前記膵管チューブを空腸を通して体外に誘導する際も、空腸刺入部でしっかりと再固定を行い、膵管チューブの脱落、抜去や膵液漏出の防止を図った。

そして、後出血や縫合不全に備えて、最も有効にドレナージされると考えられた左横隔膜下、右横隔膜下、ウィンスロー孔(膵―空腸吻合部近傍)の三か所に各二本のドレーンを留置し、閉腹して手術を終了した。

なお、被告吉田は、亡太郎の腫瘤が膵上縁部後腹膜にあり、剥離困難な部分のあることが判明した際に、これを剥離することについて、手術中に原告ら亡太郎の家族に説明をしなかった。

3  本件手術後の経過

(一) 六月一六日

午前一〇時、創部痛が強いとの訴えがあり、大声で呻吟したため、術後重症経過表中の主治医である被告吉田の看護婦に対する指示が記載された「治療の要点」に従って、ソセゴン等が投与された。体温は、右時点において三七度六分であったが、その後徐々に上昇し、午後零時には三八度八分になったため、治療の要点に従って、解熱剤であるインダシンが投与された。その後、体温は徐々に下降し、午後六時三〇分には三七度二分まで下降し、同月一七日午前零時ころまで、安定していた。

しかしながら、血圧は、午後六時三〇分に最大血圧が一三〇であったにもかかわらず、その後急激に下降し、午後七時には九〇まで低下した。それとともに、創痛が急に強くなったとの訴えがなされ、また、右ドレーンカット部から出血が見られた。直ちに輸血(赤血球二パック)が開始された結果、午後七時三〇分には最大血圧が一四五まで回復した。創痛も午後九時ころにはやや軽減するに至った。

脈拍数は終日一〇〇以下であった。また、白血球数は一三六〇〇ないし九一〇〇(一立方ミリメートル当たり。以下同様。)であった。

(二) 六月一七日

午前零時に三七度一分であった体温は、その後徐々に上昇し、午前三時三〇分には三七度九分になるとともに、創痛自制不可(がまんできない)を訴えたので、治療の要点に従いインダシンが投与された。体温はその後も上昇し続け、午前五時には三八度六分に達したが、その後下降し、午前七時には三六度八分になり、以後、午後二時ころまで安定していた。しかし、午後五時には三八度三分まで上昇したので、治療の要点に従いインダシンが投与され、その後下降した。

脈拍数は、午前二時に一一六まで上昇したものの、その後は一一〇以下となり、午前七時以降はおおむね終日一〇〇以下であった。白血球数は一〇三〇〇であった。

前記のとおり午前三時三〇分に創痛自制不可を訴えていたが、午前五時には軽減し、以後、創痛はあっても軽度なものにとどまった。

午前八時四五分には吃逆が出そうであるとの訴えがあった。

午後一時から午後五時にかけて、凍結血漿三本が輸血された。

ウィンスロー孔、両横隔膜下に留置されたドレーンからの排液は、一日中、淡血性又は淡々血性であった。

(三) 六月一八日

午前一時に三六度であった体温は、徐々に上昇し、午前一〇時三〇分には三七度九分、午後四時には三九度二分まで上昇したため、治療の要点に従いインダシンが投与された。以後、体温は下降し、午後七時四五分には三七度八分になったが、その後再度上昇し、午後一〇時三〇分には三九度に達したため、再度インダシンが投与された。

脈拍数は、午後四時から午後九時にかけて一〇〇を超え、その間午後六時には一一〇まで上昇したが、その他の時間は一〇〇以下であった。白血球数は一〇八〇〇であった。

創痛はあったものの自制内であった。しかし、体温が特に高温であった午後四時や午後一〇時三〇分ころには全身倦怠感が著明であり、呻吟もみられた。また、午前一〇時には吃逆がみられ、以後、数度にわたり、腹満感や腹痛を訴え、午後八時にはソセゴンが投与された。

ドレーンからの排液の性状は、午前四時には淡血性であったが、ウィンスロー孔ドレーン内にコアグラがみられた。午前一〇時には血性であり、以後、終日血性であった。右排液の性状が淡血性から血性に変化したのは出血があったからである。

午前一一時三〇分から午後一一時にかけて凍結血漿及び赤血球が輸血された。

(四) 六月一九日

前日午後一〇時三〇分に三九度あった体温は急激に低下し、六月一九日午前三時には三五度二分まで低下した。その後、三六度台で推移したが、午後一時から午後四時三〇分にかけて三七度八分になり、午後八時には三八度九分まで上昇したので、治療の要点に従い、インダシンが投与された結果、午後一〇時四五分には三七度まで低下した。

その間、午前七時に腹部圧痛、創部痛(自制内)があり、午前一〇時ころには時々呻吟がみられ、その後も創痛を訴えた。そして、午後六時には創痛・腹痛自制不可の訴えがあり、治療の要点に従いソセゴンが投与され、まもなく創痛は軽減した。午後八時から午後一〇時ころ、全身倦怠感が著明であった。

脈拍数は、午前八時四五分に一〇八であり、午後四時ころから午後一一時ころにかけて、一〇〇以上であった。白血球数は一〇五〇〇であった。

ドレーンからの排液の性状は、午前六時にウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液が淡血性、左横隔膜下ドレーンからの排液が血性であり、午後零時にはいずれのドレーンからの排液も血性であった。午後七時に被告吉田が各ドレーンを吸引したところ、排液の性状は暗血性であり、コアグラもみられた。その後、血性ないし淡血性になった。

午前一一時から午後三時三〇分ころにかけて凍結血漿が輸血された。

(五) 六月二〇日

体温は、午後二時に三七度六分まで上昇したものの、その他の時間帯は三六度台で安定していた。脈拍数は終日一〇〇以下であった(白血球数については、これを認定するに足りる証拠がない。)。

午前二時には全身の倦怠感が著明であり、午前八時には創痛はあるが自制内であった。午後零時三〇分には創部痛自制不可を訴えたため、治療の要点に従いソセゴンが投与され、午後五時三〇分には疼痛自制不可を訴えたため、治療の要点に従いインダシンが投与されたが、午後七時ころになっても創痛は軽減しなかった。午後八時にも創痛自制不可を訴え、呻吟したので、午後八時二〇分、ソセゴンが投与され、午後一一時ころには創痛は軽減しつつあった。最大血圧は午後八時に一七八まで上昇した。

午前一一時、午後一時、午後四時に吃逆がみられ、おおむね終日腹部膨満感が続いた。

ドレーンからの排液の性状は、午前五時にウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液が暗赤色ないし暗赤茶色であり、左横隔膜下ドレーンからの排液が乾燥した淡黒茶色であった。午前七時ころ、ウィンスロー孔ドレーンからにじむように暗赤茶色液の浸出がみられた。午前一一時にはウィンスロー孔ドレーンからの排液は血性になった。午後一時、ウィンスロー孔ドレーンを吸引したところ、排液は暗赤色であった。午後七時には、ウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液は血性ないし淡血性であった。

午後一一時には、各ドレーンからの排液は血性ないし淡血性であり、臭気があった。

(六) 六月二一日

体温は、午前一一時台まで三六度台であったが、午後二時から午後四時三〇分にかけて三七度九分になった。しかし、午後六時には三六度五分に下がり、以後三六度台で推移した。

脈拍数は、午前中一〇〇以下であったが、午後二時に一〇八まで上昇し、午後四時三〇分にはいったん九〇まで低下したものの、午後六時には一二〇まで上昇した。そして、午後九時には一〇八に下降し、翌日午前四時まで一〇八であった。白血球数は八〇〇〇であった。

午前零時、午前四時、午後一時ころ、午後三時ころに創痛を訴えるが自制内であった。しかし、午後四時ころ及び午後九時ころに腹部痛自制不可を訴えたので、いずれもソセゴンが投与された。午前七時に吃逆がみられた。

ドレーンからの排液の性状は、午前七時にウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液が血性であり、左横隔膜下ドレーンからの排液が暗赤色であった。午後二時にウィンスロー孔ドレーン、両横隔膜下ドレーンからの排液が暗血色であり、午後七時には暗赤色であった。午後九時には、ウィンスロー孔ドレーンから浸出液と思われる無色透明の液がみられた。

(七) 六月二二日

体温は終日三六度台であった。脈拍数は、前記のとおり午前四時ころまで一〇八であったが、その後下降し、午前八時ころから終日一〇〇以下であった。白血球数は八四〇〇であった。

午前一一時ころ、最大血圧が一八六まで上昇したが、これは腸管の蠕動を高める薬であるプロスタルモンを午前一〇時二二分から投与したためであり、午前一一時四五分には一五四まで低下した。また、午後八時ころ、最大血圧が一八〇まで上昇したが、これは胃管を約八センチメートルだけさらに押し込んだことによる苦痛が原因であった。その後、降圧剤(アダラート)が投与されたため、血圧は急激に低下した。

午前三時三〇分ころ、胸部から腹部にかけての苦しさと痛みを訴えたため、インダシンが投与された。午前八時ころ、胸の苦しさが軽度で持続しているが、増強はしなかった。午後零時以降、創痛が続いたが自制内であった。

午前零時ころ、ドレーンからの排液に便汁様のものがみられ、午前七時ころ、暗茶血性で粘調を帯びていた。午後二時ころ、各ドレーンからの排液は淡茶血性で中央が茶色であった。午後一一時ころ、ウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液は淡茶血性であり、悪臭があった。

(八) 六月二三日

午前五時、ウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液は淡茶血性であった。午前八時に同ドレーンからの排液は淡茶血性で、中央に膿汁が認められた。

被告吉田は、午前九時ころ、前日からの排液の性状の変化から、縫合不全の発生を疑い、縫合不全発生の有無を確認するために、ガストログラフィン(造影剤)を胃管より挿入して、ポータブル機によって腹部レントゲン写真を撮影したが(検乙一三)、特に縫合不全についての情報を得ることはできなかった。

4  緊急手術及びその後の経過

(一) 六月二三日午前一〇時ころ、ウィンスロー孔ドレーンから大量に新鮮血が出血し、血圧も急激に下降し、前ショック状態となったため、被告吉田は腹腔内出血と診断した。そして、同日午後零時二六分から午後一時五四分までの間、被告吉田が執刀し、介助医の平井医師、杉江医師、その他麻酔医二名等により、止血のため緊急手術が行われた。

本件手術の際の手術創に沿って開腹したところ、動脈性出血は認められなかったが、右上腹部(右横隔膜下モリソン窩)を中心に凝血塊が存在した。左横隔膜下、左側腹部、下腹部には凝血及び出血点が認められなかった。また、大量出血につながるような出血点として明らかなものは認められなかった。

膵―空腸吻合部は、前壁の縫合糸がほとんど膵部で裂けて吻合部上縁ないし前壁が開しており、縫合不全であると診断された。被告吉田は、同部からの出血の可能性も考え、止血を兼ねて再縫合を試みたが、膵組織が脆く、十分な補強ができなかったので、ドレナージを効かすこととした。十二指腸―十二指腸吻合部には前壁に直径五ミリメートル大の開部があったため、被告吉田は全層吻合により補強した。肝管―空腸吻合部は剥離露出しなかったが、同部近傍からの明らかな胆汁の漏れは確認できなかった。

被告吉田は、一番破綻が大きかった膵―腸吻合部からの出血の可能性が高いと推測した。

腹腔内洗浄後、膵―腸吻合部上縁から胆汁の漏出があるのを認めたが、補強困難であった。縫合不全部を中心に五か所にわたり合計一〇本のドレーンを挿入・留置し、閉腹し、手術を終了した。

(二) 右緊急手術後、輸血や血液凝固障害症候群に対する治療薬(FOY)の投与を行ったが、六月二四日午前一時すぎ、再びドレーンからの出血が多くなり、血圧も急激に低下した。さらに輸血をしたにもかかわらず、血圧は改善せず、ショック状態となり、ドレーンからの出血も軽減しなかった。

同日午前六時ころ、腹壁創を開放し、ガーゼで圧迫止血を行った。その後、血圧は上昇し安定に向かったものの、出血はじわじわとではあるが持続していた。

その後、徐々に出血傾向及びフィブリノーゲン(血液凝固因子)の減少が目立ち始め、DIC(播発性血管内凝固症候群)の状態と考えられた。

それに伴い、血圧も不安定となり、血小板の減少や肝臓障害及び腎障害が急激に進行したので、継続的に大量の輸血をし、強心、利尿剤、縫合不全に伴う感染治療のための抗生物質、免疫グロブリン製剤、FOY、肝庇護剤等を種々投与するなどしたが、同月二七日からは、DICの影響で痙攣発作も出現するに至り意識レベルも低下した。そして、亡太郎は、ついに多臓器不全に陥り、同月二九日午後一〇時五分、死亡した。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  右一認定の事実を前提に、原告ら主張の被告吉田の注意義務違反ないし過失の点について、以下順次判断する。

1  術前の説明義務違反の主張について

(一)  一般に、医師が、患者に対して手術等の医学的侵襲を伴う医療行為を行う場合、患者の承諾を得る必要のあることはいうまでもないが、その過程及び予後において一定の蓋然性を持って悪しき結果ないし死亡等の重大な結果の発生が予測されるときは、右承諾を求める前提として、その患者に対し、患者が判断することの困難な事情がある場合には患者の家族に対し、患者の病状、治療方法の内容及び必要性、発生が予測される危険等につき、当時の医療水準に照らして相当と思料される事項を説明し、患者(又はその家族)が当該医療行為の必要性や危険性を比較考量した上で、これを受けるか否かを決定することを可能にする義務を負うものというべきである。

(二) 前記一1認定の事実に証拠(甲一ないし三、証人後藤満一、被告吉田、鑑定の結果)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 亡太郎は、総胆管に約二センチメートルにわたる不整の狭窄及びその部分より肝側の拡張がみられ、総胆管癌と診断された。また、手術前にドレナージチューブ(ERBD)が詰まって閉塞性黄疸と胆道感染の併発を来し、敗血症の疑いもあった。

(2) 総胆管癌の治療方法としては、手術を実施する方法と手術を実施せずに減黄しながら経過観察をする保存的療法とが考えられる。

① 下部胆管に胆管癌がある場合には、膵頭十二指腸切除術が標準術式とされている。

そして、腹膜播種や肝転移がなく、広範なリンパ節転移がなければ、膵頭十二指腸切除術を実施することで、十分根治が得られる可能性があり、また、経過観察を継続するよりも延命となる可能性が高い。反面、膵頭十二指腸切除術は腹部手術の中でも最も卓越した技術の要求される手術の一つであり、術後合併症である縫合不全の発生の可能性が高く、しかも、膵―空腸吻合の縫合不全発生後の予後は、保存的療法で治癒する場合が多いものの、生命に関わるような腹膜炎や出血を併発する場合があり、生命に対する危険性も相当高い。

日本膵臓学会膵癌登録委員会の「全国膵癌登録調査報告」(鑑定書添付の参考資料1)によれば、膵癌に対する膵頭十二指腸切除術を施行した場合の死亡原因中の手術死亡率(術後一か月以内の死亡率)は、昭和六三年度の統計で12.2パーセント(一三九例中一七例)であり、平成六年度の統計でも5.9パーセント(一七〇例中一〇例)である。

早期術後合併症としては、縫合不全が最も多く、その発生率は一八パーセントであり、そのうち膵―空腸吻合部の縫合不全の発生率が10.4パーセントである。次に出血が多く14.5パーセントであり、そのうち腹腔内出血は五パーセントである。平成六年度の統計では、縫合不全10.9パーセント、出血10.5パーセントというように発生率が低下しているが、腹腔内出血の発生率は7.6パーセントと上昇している。そして、腹腔内出血は膵―空腸吻合の縫合不全に伴うことが多いと考えられている。

医学図書出版株式会社発行・宮崎逸夫ほか編集の「膵頭十二指腸切除術」(鑑定書添付の参考資料2)によれば、膵頭十二指腸切除術の術後合併症のうち、発生頻度が高くいったん生じると重篤な状態となるのは、膵―腸吻合部縫合不全とそれにより起こる腹腔内出血であること、昭和四九年一月から昭和六三年一二月までの一五年間に施行された同手術一七〇例のうち一六例に腹腔内出血を生じ、そのうち一三例は膵液漏を原因とするものであり、しかも、その一三例のうち一一例が胃十二指腸動脈からの出血であり、その一一例のうち五例が死亡に至り、死亡率は四五パーセントに及ぶこと、右出血は、膵―腸吻合部縫合不全により生じた膵液漏の膵液が、吻合部近くの胃十二指腸動脈断端に浸透し、血管壁を腐蝕することにより生じること、腹腔ドレーンから腸内容や胆汁が出て、ドレーンからの造影で縫合不全が診断された症例はほとんどなく、発熱や白血球増多が続くが原因がはっきりしない場合やドレーンからの排液が汚く膿性であると思っていると突然ドレーンから出血する場合が大多数であったことが指摘されている。

また、日本臨床外科医学会雑誌平成三年五二巻一号(甲二)によれば、札幌医科大学第一外科で昭和五四年一月から同六三年一二月までの間に施行された膵頭十二指腸切除術五三例について、縫合不全の発生率は五五パーセント(二九例)であり、特に膵空腸部の縫合不全はマイナーリーケージも含めてその発生率は二八パーセント(一五例)であった。また、術後三〇日以内の死亡は一例であったが、その他、術後三〇日以上経過しているが手術自体がその死因に深く関与したと考えられる入院時死亡例が六例あった。

② 保存的療法として、ERBDを施行し、そのまま経過観察をするという方法も考えられる。しかし、手術に伴う危険性はないものの、腫瘍性の変化である以上、増悪することはあっても、軽快したり狭窄した部分が再度広がることはあまり考えられず、たとえ減黄のための処置が採られていても、胆管炎を頻回に繰り返し、胆管炎をコントロールすることができない場合には、熱も下がらず、敗血症になり死亡するか、腫瘍が進展して全身的な侵襲が進み癌死する。

総胆管癌の場合、手術するのがほとんどであり、そのため、保存的治療による余命についてのデータはあまり存在しない。しかし、外科手術ができず経過観察によるほかはない症例についてのデータによると、一年後に生存していたのは二〇パーセント前後(八〇パーセントは死亡)である。

(3) 亡太郎は、前記のとおり、総胆管に約二センチメートルにわたる不整の狭窄及びその部分より肝側の拡張がみられ、総胆管癌と診断され、手術前に総胆管内に挿入・留置されたドレナージチューブ(ERBD)が詰まって閉塞性黄疸と胆道感染の併発を来し、敗血症の疑いもあったのであり、したがって、悪性腫瘍の転移が進む可能性が相当高かった上、悪性腫瘍が大きくなり、チューブの入替えが困難になる可能性が相当高かったので、術前の条件が揃いさえすれば、早期に手術をすべき必要性が高かった。

そして、前記認定によれば、本件病院外科の症例検討会においても、膵頭十二指腸切除術を実施するのが相当であると判断されており、また、鑑定人自身も、亡太郎の場合手術を実施するのが相当であると判断している。

他方、亡太郎の場合、右手術を施行せず、保存的療法を行っていたとすれば、一年後生存率は前記②後段の場合の二〇パーセント前後よりは高くなると考えられるものの、二年を超えて生存できたとは考え難い。

(三) 以上を前提として、被告吉田の術前の説明義務違反の有無を検討する。

(1)  原告らは、被告吉田には、患者である亡太郎に対し、亡太郎が自らの意思により本件手術を受けるか否かを決定するために必要な情報、すなわち、既に実施された検査・診療の結果、これから行われようとする手術の目的・方法・内容、予想される危険性(特に生命に関する危険性)、後遺症や合併症の発生の可能性、その内容・程度及びこれに代わりうる他の手段(無治療の場合どうなるかということも含まれる。)、予後等につき説明すべき義務があったのであり、このことは、亡太郎に対し、癌であることを告知していたか否かにかかわらないと主張する。

しかし、本件のように癌であることを患者に告知していない場合に、原告らが主張するような事項、とりわけ既に実施された検査・診療の結果やこれから行われようとする手術の目的・方法・内容につき説明しなければならないとすると、癌であることを患者に知らしめる結果となり、癌であることを告知していない意味が失われる結果となるから、原告らの主張を採用することはできない。

もっとも、患者は、自己の肉体に医学的侵襲を加えられることを承諾するか否かを決するために、手術をしない場合の予後、手術の危険性については説明を受ける必要があり、その範囲で、患者に対しても医師に説明義務があると解するのが相当であるところ、前記一1認定の事実によれば、被告吉田は、亡太郎が手術を受けるために内科から外科へ転科した六月一日ころに、亡太郎に対し、胆管に砂のようなものが詰まって閉塞して黄疸を来している旨を説明するとともに、困難ではあるけれども患部を手術して切除しないと黄疸が強くなり最終的に肝不全に陥り、危険な事態に陥る旨を説明し、亡太郎も手術を受けることについて了解したというのであるから、被告吉田は、右説明により、手術前に医師に要求される患者本人に対する説明義務は尽くしたというべきである。

(2)  ところで、前記(二)(2)認定の事実によれば、総胆管癌の治療方法としては、膵頭十二指腸切除術を実施する方法と手術を実施せずに減黄しながら経過観察をする保存的療法とが考えられ、同手術は、腹膜播種や肝転移がなく、広範なリンパ節転移がなければ、十分根治が得られる可能性があり、経過観察を継続するよりも延命となる可能性が高い反面、腹部手術の中でも最も卓越した技術の要求される手術の一つであり、術後合併症である縫合不全の発生の可能性が高く、しかも、膵―空腸吻合の縫合不全発生後の予後は、保存的療法で治癒する場合が多いものの、生命に関わるような腹膜炎や出血を併発する場合があり、生命に対する危険性も相当高い、というのであり、他方、ERBDを施行し、そのまま経過観察をするという保存的療法の場合には、手術に伴う危険性はないものの、腫瘍性の変化である以上、増悪することはあっても、軽快したり狭窄した部分が再度広がることはあまり考えられず、たとえ減黄のための処置が採られていても、胆管炎を頻回に繰り返し、胆管炎をコントロールすることができない場合には、熱も下がらず、敗血症になり死亡するか、腫瘍が進展して全身的な侵襲が進み、癌死するのであり、亡太郎の場合、一年後生存率は二〇パーセント前後よりは高くなると考えられるものの、二年を超えて生存できたとは考え難い、というのである。

このように、手術を行った場合も行わなかった場合も一定の蓋然性をもって死亡することが予測される場合には、前記(一)に説示したところに従い、患者が手術を受けるか否かを決するために、その患者に対し、患者が判断することの困難な事情がある場合には患者の家族に対し、患者の病状に加えて、手術を行う場合と行わない場合の両方の場合の治療方法の内容及び必要性、発生が予測される危険等につき、概括的にしろ説明をすべき義務があるというべきである。そして、前記(1)に説示したところによれば、本件の場合、患者である亡太郎が判断することの困難な事情があるということができるから、被告吉田は、亡太郎に代わって最も適切に判断をすべき者、すなわち、その妻である原告春子に対し、右のような説明をすべき義務があるということになる。

しかるに、前記一1認定の事実によれば、被告吉田は、六月九日、原告春子に対し、手術は臓器部分を三か所切って腸につなぐ方法で行うと説明したが、手術の危険性についての説明はせず、同月一三日、原告春子、同一郎、同二郎とその妻に対し、亡太郎のレントゲン写真をシャウカステンに掲げるとともに、肝臓、総胆管、膵臓、十二指腸等手術部位付近の図を紙に描いて、総胆管に腫瘍がありそれを切除する必要があること、総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うこと、手術時間は約六時間かかること、体力の点も手術するには問題がないこと、手術の時期も適当であることを説明したが、他方、手術を行った場合に死亡する危険性もあることについての説明や手術を行わない場合の予後についての説明はしなかった、というのである。

総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うものであり、手術時間は約六時間かかるとの説明を受ければ、亡太郎が六八歳であることも考えて、相当程度の危険を伴うことは通常予想しうるということはできるけれども、前記(二)(2)①説示のとおり本件手術に伴う死亡の危険性が相当高いことを考えると、経過観察によって右手術による危険性を回避するとの選択も十分考えられるところであるから(このことと医師が自己の意見として、患者に対し手術を勧めることとは、別論である。)、右認定のとおりの説明では未だ説明としては不十分といわざるを得ず、被告吉田は原告春子に対し説明義務を尽くさなかったものというべきである。被告らは、被告吉田は原告春子に対し、術後合併症として肺炎や縫合不全についてもある程度考えなければならず、したがって術中、術後の予断は許されないが、救命のためには手術をせずに放っておくことはできないということを説明した旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠がないことは前示のとおりである。

2  手術実施上の過失の主張について

(一) 術中迅速病理診断検査義務違反の点

原告らは、被告吉田には、癌腫の部分を残さず切除することができたかどうかを確認するためと切除範囲を必要最小限度にとどめるために、術中迅速病理診断検査を行うべき義務があった旨主張する。

証拠(証人後藤満一)及び弁論の全趣旨によれば、医師が癌の根治のために癌腫部分等の切除を行う場合に、いかなる範囲の部分を切除するかの判断は、事前の検査結果、開腹時の肉眼所見、触診、あるいは術中迅速病理診断検査などによって行うものであるが、事前の検査結果、開腹時の肉眼所見、触診だけで可能なこともある上、右検査は迅速と名付けられてはいるものの、検査結果が判明するには一定の時間が必要であることが認められるところ、手術の遅延はかえって患者に肉体的負担を与え、手術に伴う生命への危険性を増加させることになるから、右検査を行うか否かは医師の裁量にかかっているというべきである。したがって、右裁量を逸脱したとみられるような事情がある場合は格別、そうでない場合は、右検査を行わなかったからといって直ちに医師としての注意義務に違反したことにはならないというべきである。

前記一2認定の事実によれば、(1) 被告吉田は、切除部位については、手術中に三管合流部から遠位側(十二指腸側)で切開して、胆道ファイバーで見たところ、十二指腸側はあまりよく見えなかった(腫瘍があったからと思われる。)のに対し、近位側(肝臓側)は約三センチメートルの長さにわたって軽度のびらん性変化がみられたものの、さらに肝側はファイバーで見る限り変化はなかったし、胆汁の色もきれいであったことから、三管合流部のぎりぎり肝側で切離しても結果は同じであると考え、一センチメートル肝臓側で切離することとした、(2) このように胆道ファイバーで内腔を観察するとともに、触診・視診を行った結果、腫瘍が良性でないこと、癌の部位や範囲を判断することができたので、被告吉田は、それ以上術中迅速病理診断検査を行うまでの必要はないと考え、右検査は行わなかった、(3) 被告吉田は、手術中、膵臓への浸潤は認められないと肉眼的に判断していたが、手術後に行われた病理組織検査によると、実際には膵臓の方にも少し進展しており、また、膵臓の周囲の脂肪組織に浸潤があったものの、膵臓も周りの脂肪組織を一緒につけて切除している、(4) 被告吉田は、膵頭十二指腸切除術でのルーチンな切除方法に従って、腫瘍のあった総胆管は総肝管の部位で、膵臓は門脈・上腸間膜静脈左縁の線上で、十二指腸は、口側については幽門から約三センチメートル肛門側の部位で、肛門側についてはトライツ靱帯から約二センチメートル口側の部位で、それぞれ切離し、総胆管、膵頭部、十二指腸等を一塊として切除した、というのであり、このように被告吉田は胆道ファイバーによる観察、視診・触診などを行って切除部位を判断していること、証拠(鑑定の結果)によれば、本件手術による切除範囲や手術方法の選択は適当であったことに照らすと、被告吉田が術中迅速病理診断検査を実施しなかったことについて裁量を逸脱したとまでいうことはできず、したがって、原告らのこの点に関する前記主張は理由がない。

(二) 本件手術の中止義務違反の点

原告らは、切除範囲があまりに広範囲になり、年齢、術前の全身状態等から術後に危険があるようであれば、本件手術を中止してバイパス手術に変更すべき義務がある旨主張する。

亡太郎は、本件手術当時六八歳であったところ、前記「全国膵癌登録調査報告」(鑑定書添付の参考資料1)によれば、昭和六三年の切除症例三九七例の年齢は六〇歳代が最も多く、一二四例、約三一パーセントであることが認められ、前記一1認定の事実及び証拠(乙四、鑑定の結果)によれば、本件病院への入院時に亡太郎の全身状況は黄疸が顕著であり、血清総ビリルビン値(TBIL。正常値は0.3ないし1.1)は、五月一五日には9.3であったが、その後ERBDなどの減黄処置の施行により、同月二四日には1.0と正常化し、その後、六月三日には4.8に再上昇したが、ERBDの再挿入により、同月五日に2.0に低下し、手術前日の同月一四日には0.9と正常化していること、GOT・GPTの各数値も、同月二日にはGOTが二九三、GPTが二〇四であったのが、手術前日の同月一四日にはGOTが四七(正常値は一〇ないし三六)、GPTが七二(正常値は四ないし三五)とほぼ正常化していること、被告吉田は、同月六日、中心静脈栄養点滴(IVH)による術前の栄養管理を開始したこと、被告吉田は、膵頭十二指腸切除術のルーチンな切除方法に従って、腫瘍のあった総胆管は総肝管の部位で、膵臓は門脈・上腸間膜静脈左縁の線上で、十二指腸は、口側については幽門から約三センチメートル肛門側の部位で、肛門側についてはトライツ靱帯から約二センチメートル口側の部位で、それぞれ切離し、総胆管、膵頭部、十二指腸等を一塊として切除したこと、同時に、癌を取り残すことなく切除するため、肝・十二指腸靱帯部においては胆管、肝動脈、門脈をすべて完全に剥離し、テープをかけながら操作を進め、リンパ節郭清を十分に行い、また、上腸間膜動・静脈や後腹膜から膵を剥離する際にも癌の取残しがないように注意するとともに、細小の血管まで慎重に結紮、切離しつつ、剥離したことが認められるのであって、これらの事実に照らせば、亡太郎の年齢が本件手術を施行するのに高すぎたとは考えられず、術前の全身状態も減黄処置、栄養管理等の点で問題がなく、切除は標準術式に従って、しかもルーチンな切除方法で行われ、切除範囲も適当であり、鑑定人後藤満一も、証人尋問において、本件ではバイパス手術は行わない旨証言しているのであるから、被告吉田に本件手術を中止してバイパス手術に変更すべき義務があったものということはできない。

(三) 手術の手技上の過失の点

原告らは、被告吉田は、膵―空腸吻合は術後合併症の一つである縫合不全発生の危険性が高い箇所であるとの認識を有していながら、本件手術を実施し、その困難な部分の剥離をあえて行い、同吻合部から出血させ、縫合不全を生じさせたのであるから、右剥離自体に手術操作上の過失がある旨主張する。

前記一の2及び4認定の事実によれば、(1) 亡太郎の本件手術は、六月一五日午前一〇時二分から午後三時四五分までの間、被告吉田が執刀し、介助医の森口医師及び杉江医師、その他麻酔医二名、看護婦三名により本件病院において実施された、(2) 術中所見によると、膵上縁部後腹膜剥離時、下大静脈と腫瘍部及び膵上縁部との間に剥離困難な部分があり、極めて慎重な操作を必要としたが、剥いでいくと、静脈壁が手術後いつ破れるかと心配するまでの必要はないくらいの層で予想以上にうまく剥離できたこと、剥離しにくかった部分が腫瘍側(癌細胞)についていると判断できたこと及び膵頭十二指腸切除術にて治癒手術となることが期待されたことから、予定通りの術式で行うこととした、(3) 被告吉田は、膵頭十二指腸切除の術式でのルーチンな切除方法に従って、腫瘍のあった総胆管は総肝管の部位で、膵臓は門脈・上腸間膜静脈左縁の線上で、十二指腸は、口側については幽門から約三センチメートル肛門側の部位で、肛門側についてはトライツ靱帯から約二センチメートル口側の部位で、それぞれ切離し、総胆管、膵頭部、十二指腸等を一塊として切除し、同時に、癌を取り残すことなく切除するため、肝・十二指腸靱帯部においては胆管、肝動脈、門脈をすべて完全に剥離し、テープをかけながら操作を進め、リンパ節郭清を十分に行い、また、上腸間膜動・静脈や後腹膜から膵を剥離する際にも癌の取残しがないように注意するとともに、細小の血管まで慎重に結紮、切離しつつ、剥離し、さらに、膵液を体外に排出させるために、膵管内に膵管チューブを挿入し、抜けないように確実に結紮、固定した、(4) 再建術は、まず十二指腸と十二指腸とを吻合し、次に膵臓と空腸とを吻合し、最後に肝管と空腸とを吻合する方法で実施し、膵―空腸吻合は縫合不全発症の危険性が高い箇所であり、かつ、膵が硬くなっておらず柔らかな組織であったことから、特に慎重に吻合操作を行った、(5) そして、左横隔膜下、右横隔膜下、ウィンスロー孔(膵―空腸吻合部近傍)の三か所に各二本のドレーンを設置し、閉腹して手術を終了した、(6) その後、膵―空腸吻合部と十二指腸―十二指腸吻合部で縫合不全が発生したというのである。

右認定事実に証拠(鑑定の結果)を総合して検討すると、本件手術の切除範囲、手術方法の選択は適当であったこと、剥離自体に問題があるならば、本件手術中に剥離困難な部分付近に存在する下大静脈等から大量の出血があるはずであるが、このような大量の出血があったと窺うに足りる証拠はなく、かえって、証拠(被告吉田)によれば、本件手術の閉腹時に生理食塩水を入れて血が吹き出していないかを調べたことが認められること、下大静脈と腫瘤部及び膵上縁部との間にあった剥離困難な部分を剥離したことと吻合部からの出血との間に直接の関連性は存在しないこと、後記4(一)(1)のとおり、縫合不全発症の要因としては、種々の要因が考えられ、吻合術式、縫合材料、吻合部の過緊張などの技術的要因も関係があると考えられるが、実際上は原因とはなりにくいと考えられていることに照らし、縫合不全が発生したからといって直ちに手技自体に過誤があったとはいえないのであって、結局、本件全証拠によるも、本件手術での被告吉田の手技自体に過誤が存在したとは認められないというほかはない。これに反する原告らの主張は理由がない。

3  術中の説明義務違反の主張について

原告らは、手術開始後、患者の承諾を取っていない新たな事態が生じた場合や承諾の範囲を超えた新たな事態が生じた場合には、医師は患者の家族に対し、新たに生じた事態や承諾の範囲を超えた新たな事態、手術の継続の必要性と手術の継続により予想される危険性について説明すべき義務があるのに、本件手術開始後、亡太郎の腫瘤が膵上縁部後腹膜にあり、術前に予想することができなかった剥離困難な部分の存在することが判明したにもかかわらず、被告吉田は原告らに対し、手術中に何らの説明もしなかったのであるから、被告吉田には術中の説明義務違反がある旨主張する。

前記一2のとおり、本件手術開始後、膵上縁部後腹膜剥離時、下大静脈と腫瘍部及び膵上縁部との間に剥離困難な部分があり、極めて慎重な操作を必要としたこと、しかしながら、剥いでいくと予想以上に静脈壁を手術後いつ破れるかと心配しなければならないほどではないくらいの層でうまく剥離できたこと、剥離しにくかった部分が腫瘍側(癌細胞)についていると判断できたこと、膵頭十二指腸切除術にて治癒手術となることが期待されたことから、予定どおりの術式で行うこととしたことが認められ、被告吉田が、右剥離困難な部分のあることが判明した際に、これを剥離することについて、手術中に原告ら亡太郎の家族に説明をしなかったことも前記一2認定のとおりである。

しかし、右のように手術開始後に剥離困難な部分のあることが判明し、そのことが手術前に予想し得なかった場合に、現に手術を開始して開腹した状態において、原告ら亡太郎の家族に対し、剥離困難な部分が存在することや、手術の継続の必要性と手術の継続により予想される危険性について説明し、その家族の承諾を得るなどということは、現実問題としては不可能と考えられ、剥離をするか否かは医師がその専門的見地から判断すべき事柄であるというべきであって、被告吉田に右のような説明をすべき義務があるということはできない。

4  術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反の主張について

原告らは、被告吉田は、本件手術後六月二三日午前一〇時までの間、経過観察を怠り、縫合不全を早期に発見することができず、そのため必要な検査をなすべき義務に違反し、吻合部位の縫合不全により大量出血を生じさせ、よって亡太郎を死亡させたのであるから、術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反及び縫合不全に対する適切な治療義務違反の過失がある旨主張する。

(一) まず、証拠(乙五、六、九、証人後藤満一、被告吉田、鑑定の結果)を総合すると、縫合不全に関する一般論として、以下の事実が認められる。

(1) 縫合不全とは、縫合部が治癒しないで創が離開した状態のことをいう。右状態が消化管吻合後に生ずると、消化管の内容が胸腔内、腹腔内に漏出し、重篤な感染症を起こし、その結果、致命的な結果をもたらすことがある。

縫合不全の発生の機序は、術後五ないし七日目に始まる吻合部の組織の治癒過程(再生期)が障害されるために起こるというものである。治癒過程を妨げる要因は、全身的な要因と局所的な要因とに区別される。全身的な要因としては、低栄養状態、低蛋白血症、慢性疾患(糖尿病、肝・腎障害)などが考えられ、局所的な要因としては、感染、血行障害、膵消化酵素の存在などが考えられ、さらに、吻合術式、縫合材料、吻合部の過緊張などの技術的要因も関係があると考えられるが、実際上は原因とはなりにくいと考えられている。また、高齢者の方が発生しやすいため、高齢者であることも要因の一つであるといわれている。実際にはこれらの要因が複雑にからんで発生するものであって、最も重要な要因が何であったかを確定するのは困難であるとされている。

(2) 縫合不全の診断は、体温の上昇、頻脈、白血球数の増加等のいわゆるバイタルサインの変化、吃逆・腹痛等の症状、ドレーン排液の性状(吻合内部の消化液、膿等による汚濁や汚い色調の悪臭をもった感染性の排液)などによって行う。

但し、これらのうち、体温の上昇、頻脈、白血球数の増加等、吃逆・腹痛等の症状は、術後しばらくの間(三日間ぐらい)は、縫合不全がなくても手術自体によって起こる症状として多少は認められるので、右症状のみで縫合不全が発生していると判定することは困難であり、ドレーン排液の性状に注意すべきものとされる。

消化管の縫合不全の発生を画像で捉えるには、ガストログラフィン検査があり、消化管内に造影剤(ガストログラフィン)を注入し、消化管外に流出するのを確認できれば診断がつくというものであり、縫合不全の発生の有無を確認するための方法として一般的なものである。但し、そのためには造影剤が縫合不全部を通過する必要があり、体位を変換させたり、ときには多くの造影剤を注入することも必要となる。逆に、ドレーンから造影剤を注入し、消化管が造影されたことによって、縫合不全の診断をつけるという方法もあるが、前記1(二)(2)①認定のとおり、腹腔ドレーンから腸内容や胆汁が出て、ドレーンからの造影で縫合不全が診断された症例はほとんどなく、発熱や白血球増多が続くが原因がはっきりしない場合やドレーンからの排液が汚なく膿性であると思っていると突然ドレーンから出血する場合が大多数であったと指摘する文献も存在する。

(3) 縫合不全の治療法としては、大別して手術療法と保存的療法がある。

ガストログラフィン検査によって縫合不全部位、その大きさを判定し、さらにドレーンが挿入されていればその効果を判定し、メジャーリーケージ、非限局性のリーケージ、ドレーンの効果不良の場合や、炎症が汎発性になった場合などは、直ちに再手術を施行し、ドレナージドレーンを的確な部位に挿入・留置し、漏出した消化管内容、膿瘍を体外に誘導して排液、排膿を図ることになる。一般に、縫合不全部の再縫合あるいは再切除などが行える場合は少なく、確実にドレナージ効果が得られるように処置することが先決であるといわれている。

縫合不全による症状が軽度で、縫合不全部からの造影剤の漏出が少量である場合(マイナーリーケージ)には、保存的治療で経過観察をし、再手術を見合わせる。保存的療法としては、高カロリー輸液を施行するなどして全身状態の改善(全身的な栄養管理)に努めるとともに、局所的なドレナージを効果的に行う(吻合部に挿入したドレーンからのドレナージをうまく効かすようにする)ことになる。経過観察中は、熱型、腹部の理学的所見、白血球数、ドレーンからの排液の量・性状を厳重にチェックし、高熱が持続したり、白血球数が増加し、筋性防御が出現し、圧痛が漸次増強するなどの変化が現れたら、時機を逸しないように再手術を施行することが必要である。

(4) 膵―空腸吻合部で縫合不全が発生した場合、膵液が腸内容と接触することにより、膵液中の蛋白分解酵素が活性化され、周辺組織への侵食を引き起こし、これに感染、腸内容停滞、膵周辺の動脈出血などが加わり、縫合不全は重篤化して多臓器不全を経て死に至ることも少なくない(胃十二指腸動脈などの腹腔内血管が破綻を来し、大出血を生じることもある。)。

(二) 右(一)及び前記1(二)(2)①認定の事実を前提として、原告ら主張の術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反が存在したか否かにつき、検討する。

(1)  膵頭十二指腸切除術の術後合併症のうち、発生頻度が高くいったん生じると重篤な状態となるのは、膵―空腸吻合部縫合不全とそれにより起こる腹腔内出血であり、膵液が腸内容と接触することにより、膵液中の蛋白分解酵素が活性化され、周辺組織への侵食を引き起こし、これに感染、腸内容停滞、膵周辺の動脈出血などが加わり、縫合不全は重篤化して多臓器不全を経て死に至ることも少なくない(胃十二指腸動脈などの腹腔内血管が破綻を来し、大出血を生じることもある)というのであるから、膵―空腸吻合を伴う膵頭十二指腸切除術を実施した医師としては、その術後管理に際し、縫合不全診断の資料となる患者の体温、心拍数、白血球数等のいわゆるバイタルサインの推移、吃逆の有無・程度、患者の訴える痛みの部位・程度、ドレーンからの排液の性状等を注意深く観察・診断し、これらを総合して縫合不全の発生を疑わせる症状があった場合には、適切な検査を実施して縫合不全発生の有無を確認するとともに、縫合不全が発生したと診断した場合にはその発生部位・程度を的確に把握した上、患者の全身状態等を勘案して縫合不全に対する適切な治療法を選択し、実施する義務があるというべきである。

亡太郎の場合、本件手術の後、六月一六日から一九日までの間についていえば、体温は、一六日午後零時に三八度八分、一七日午前五時に三八度六分、午後五時に三八度三分、一八日午後四時に三九度二分、午後一〇時三〇分に三九度、一九日午後八時に三八度九分に上昇し、その都度(但し、一七日午前五時の発熱時を除く。)、インダシンが投与された結果、熱が下がっていること、白血球数は、一六日に一三六〇〇ないし九一〇〇、一七日に一〇三〇〇、一八日に一〇八〇〇、一九日に一〇五〇〇であって、正常値(四五〇〇ないし九五〇〇)以上の数値を示していること、再三、創部痛や腹痛を訴えていること、一八日午前一〇時に吃逆がみられたことが認められるものの、他方、発熱及び白血球数の増加は、術後しばらくの間(三日間ぐらい)は、縫合不全がなくても手術自体によって起こる症状として多少は認められるため、右症状のみで縫合不全が発生していると診断することは困難である上、白血球数は増加したとはいっても正常値の上限近くの数値であり、脈拍数はほぼ一〇〇以下であって、頻脈とまではいえないこと、創部痛や腹痛は本件手術の内容からして術後しばらく続くのはむしろ当然であるといえること、吃逆も一八日に一度みられたに過ぎないこと、ドレーンからの排液中にも縫合不全が発生したと窺うに足りる性状(吻合内部の消化液、膿等による汚濁や汚い色調の悪臭をもった感染性の排液)はみられなかったことをも併せ考えれば、六月一九日までには未だ縫合不全の発生を疑わせる症状があったということはできない。

(3) 次に、六月二〇日については、午後一一時に各ドレーンからの排液に初めて臭気があったが、体温は午後二時に三七度六分まで上昇したもののその他の時間帯は三六度台で安定しており、脈拍数も終日一〇〇以下であり、縫合不全発生の有無を確認するための方法として一般的なものであるガストログラフィン検査は、証拠(証人後藤満一)によれば、ドレーン排液に消化管の内容が混じっている可能性があるという所見があって初めて施行を考えるものであり、右所見は臭気の継続や消化管の漏れを示すようなものの存在(例えば膿や胆汁の存在)であることが認められるところ、右午後一一時以降、六月二二日午前零時ころにドレーン排液中に便汁様のものがみられるまで、臭気の継続や消化管の漏れを示すようなものは確認されなかったのであるから、六月二〇日午後一一時の時点で速やかに適切な検査(具体的にはガストログラフィン検査)を実施して縫合不全発生の有無を確認すべき義務があったということはできない。これに反する原告らの主張は採用することができない。

(4)  六月二一日及び二二日については、二一日午後二時には各ドレーン排液の性状は暗血色、午後七時には暗赤色であったが、二二日午前零時ころには便汁様のものがみられ、午前七時ころには暗茶血性で粘調を帯びていたというのであり、前記のように二〇日午後一一時に各ドレーンからの排液に臭気があり、さらに、その二五時間後の二二日午前零時ころに便汁様のものがみられ、午前七時ころには暗茶血性で粘調を帯びていたのであるから、同日午前七時ころの時点で、被告吉田には縫合不全の発生を疑い、速やかに適切な検査を実施して縫合不全発生の有無を確認すべき義務があったというべきである。

しかるに、被告吉田が縫合不全発生の有無を確認するためにガストログラフィン検査を実施したのは、同月二三日午前八時にウィンスロー孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液が淡茶血性で、中央に膿汁が認められた後の午前九時ころのことであり、被告吉田は、同月二二日午前七時ころ以降速やかに同検査を行わなかったのであるから、右義務に違反した過失があるものといわざるを得ない。

この点について、被告らは、六月二〇日午後一一時以降も被告吉田が縫合不全を推測しうる状況は認められず、縫合不全が発生したとの診断が可能となったのは六月二三日午前八時にドレーンから膿汁が観察されたときであると主張し、その理由として、通常縫合不全の場合にみられる熱発、頻脈、白血球増多などのバイタルサインにおいて特にそれと疑わせる著変がないままに、六月二二日深夜にドレーン排液に悪臭が、翌二三日早朝に膿汁が認められ、これらによって縫合不全を強く疑う兆候が現れたので、被告吉田は直ちにガストログラフィン検査を実施したのであるから、被告吉田に義務違反はない旨主張するが、バイタルサインに著変がなかったとしても、前記説示のとおり、六月二〇日午後一一時に各ドレーンからの排液に臭気があり、その二五時間後の二二日午前零時ころには便汁様のものがみられ、午前七時ころには暗茶血性で粘調を帯びていたなど縫合不全の発生を疑うに十分な兆候がみられたのであるから、被告らの右主張は採用することができない。

また、被告らは、ガストログラフィン検査については、造影剤の大量注入による圧力により縫合部を開したり、マイナーリーケージをメジャーリーケージに拡大するおそれがあり、他方、腹腔ドレーンから腸内容や胆汁が出て、ドレーンからの造影で縫合不全が診断されたという症例はほとんどないのであって、その検査の危険性(副作用)と有効性を考えると、同検査は必要最小限度で慎重に実施すべきものということになる(から右検査を実施すべき義務はない)旨主張し、被告吉田の供述中にはこれに沿う供述が存在し、また、腹腔ドレーンから腸内容や胆汁が出て、ドレーンからの造影で縫合不全が診断された症例はほとんどない旨指摘する文献が存在することは前記1(二)(2)①説示のとおりである。 しかしながら、ガストログラフィン検査は縫合不全発生の有無を確認するための方法として一般的なものであることは前記(一)(2)説示のとおりであるし、証拠(乙九)によれば、被告吉田自身、六月二三日にガストログラフィン検査を実施したのは、それ以外に縫合不全発症の有無や部位・程度などの情報を得る方法がないと考えていたのであるから、他に適切な検査方法がない以上、右検査を実施すべきであったというほかない。

なお、原告らは、被告吉田は腹部超音波検査、CT検査も行うべき義務があると主張するようであるが、証人後藤満一の証言その他本件全証拠によっても、平成元年当時、縫合不全を早期に発見するために腹部超音波検査やCT検査を実施するのが一般的であったとは認められない。

(5)  そこで、被告吉田が六月二二日午前七時ころの時点で縫合不全の発生を疑い、速やかにガストログラフィン検査を実施して縫合不全発生の有無を確認すべき義務に違反したことと亡太郎の死亡の結果との間に相当因果関係が存在するか否かについて検討する。

前記一3(八)認定の事実によれば、被告吉田は六月二三日午前九時ころ、前日からの排液の性状の変化から、縫合不全の発生を疑い、縫合不全発生の有無を確認するために、ガストログラフィンを胃管より挿入して、ポータブル機によって腹部レントゲン写真を撮影したが、特に縫合不全についての情報を得ることはできなかったのであるから、縫合不全はより初期の段階にあったと考えられる前日二二日午前七時ころの時点で、右検査を実施していたとしても、縫合不全についての情報を得ることはできなかったものと推認され、そうすると、以後の経過は右時点で検査を行わなかった実際の経過とそう異なるものとは考えられないから、亡太郎の死亡という結果は避けられなかったものと推認することができる。

したがって、前記義務違反と亡太郎の死亡との間に相当因果関係を認めることはできず、また、この義務違反によって亡太郎及び原告らが損害を被ったと認めるに足りる証拠はない。

もっとも、原告らは、被告吉田が六月二三日午前九時ころに行ったガストログラフィン検査で造影剤の漏れを発見できなかったこと自体をも過失の一内容として主張するかのようであるが、証拠(検乙一三、鑑定の結果)によれば、右検査により撮影した腹部レントゲン写真では造影剤の漏れを確認することはできないことが認められるから、右主張は採用することができない。また、縫合不全に対する治療自体に不適切な点があったと認めるに足りる証拠はない。

三  以上によれば、被告吉田は、過失により亡太郎の家族である原告春子に対する術前の説明義務を尽くさなかった不法行為に基づき、これにより亡太郎及び原告らの被った損害を賠償すべき義務があるということになる。被告吉田のその他の義務違反ないし過失による不法行為をいう原告らの主張は、いずれも採用することができない。

そして、被告済生会が被告吉田の使用者であることは当事者間に争いがなく、被告吉田の前記説明義務違反の不法行為は、被告済生会の開設した本件病院事業の執行につきなされたことが明らかであるから、被告済生会は、民法七一五条一項本文に基づき、使用者として右損害について被告吉田と連帯して賠償する責任を負うことになる。

四  そこで、前記術前の説明義務違反の不法行為によって亡太郎及び原告らの被った損害の額について検討する。

1 前記二1(二)認定の事実によれば、(1) 総胆管癌に罹患している患者が本件手術を受けず、保存的療法として、ERBDを施行し、そのまま経過観察をするという方法を選択した場合、手術に伴う危険性はないものの、腫瘍性の変化である以上、増悪することはあっても、軽快したり狭窄した部分が再度広がることはあまり考えられず、たとえ減黄のための処置が採られていても、胆管炎を頻回に繰り返し、胆管炎をコントロールすることができない場合には、熱も下がらず、敗血症になり死亡するか、腫瘍が進展して全身的な侵襲が進み、癌死するのであり、外科手術ができず経過観察によるほかない症例についてのデーターによると、一年後に生存していたのは二〇パーセント前後(八〇パーセントは死亡)である、(2) 亡太郎は、総胆管に約二センチメートルにわたる不整の狭窄及びその部分より肝側の拡張がみられ、総胆管癌と診断され、手術前に、総胆管内に挿入・留置されたドレナージチューブ(ERBD)が詰まって閉塞性黄疽と胆道感染の併発を来し、敗血症の疑いもあったのであり、したがって、悪性腫瘍の転移が進む可能性が相当高かった上、悪性腫瘍が大きくなり、チューブの入替えが困難になる可能性が相当高かったので、術前の条件が揃いさえすれば、早期に手術をすべき必要性が高く、本件病院外科の症例検討会においても、膵頭十二指腸切除術を実施するのが相当であると判断され、鑑定人自身も、亡太郎の場合手術を実施するのが相当であると判断している、(3) 亡太郎の場合、右手術を施行せず、保存的療法を行っていたとすれば、一年後生存率は右(1)の二〇パーセント前後よりは高くなると考えられるものの、二年を超えて生存できたとは考え難いというのであって、亡太郎が本件手術を受けなかった場合に、相当期間生命を維持できたという可能性は低く、どれくらいの期間生命を維持できたかを認めるに足りる証拠はないから、本件手術によって亡太郎が死亡したことに基づく損害を、前記術前の説明義務違反の不法行為によって被った損害と認めることはできない。

2 しかしながら、亡太郎は、本件手術を受けなければ、いずれ胆管炎を繰り返し、敗血症や癌によって死亡することになったとしても、当面は生存することができた可能性があるから、前示のとおり、被告吉田が説明を受けるべき立場にある原告春子に対し、手術を行う場合と行わない場合の両方の場合の治療方法の内容及び必要性、発生が予想される危険等につき十分な説明を行わなかったために、原告春子が手術の危険性や予後の状態を十分把握し、自らの権利と責任において、夫である亡太郎の疾患についての治療を、ひいては亡太郎の今後の人生のあり方を決定する機会を奪われた結果、亡太郎自身も今後の人生のあり方を決定する機会を奪われたことになり、これによって亡太郎の被った精神的損害は重大である(原告らの主張は、かかる精神的損害の主張も含むものと解される。)。この精神的損害は、被告吉田の右説明義務違反の不法行為と相当因果関係にあるというべきであり、これを慰謝するための金銭の額は三〇〇万円と認めるのが相当である。

原告春子が亡太郎の妻であり、原告一郎、同夏子、同秋子、同二郎が亡太郎の子であり、それぞれ、相続により亡太郎の権利義務を承継したことは当事者間に争いがない。したがって、原告らが承継した損害賠償請求権の額は、原告春子については前記慰謝料額の二分の一である一五〇万円、原告一郎、同夏子、同秋子、同二郎についてはそれぞれ八分の一である三七万五〇〇〇円となる。

3  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過及び右認容額等からすると、被告らの不法行為と相当因果関係にある弁護士費用の損害の額は、原告春子につき三〇万円、原告一郎、同夏子、同秋子、同二郎につき各七万五〇〇〇円と認めるのが相当である。

第四  結論

以上の次第で、原告春子の被告らに対する請求は、一八〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成元年六月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める限度において、原告一郎、同夏子、同秋子、同二郎の被告らに対する各請求は、各四五万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成元年六月二九日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める限度において、それぞれ理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野武 裁判官石井寛明 裁判官石丸将利)

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